沿革  1950年代

1948年

写真薬品の製造販売を目的として、中外写真薬品株式会社を日本橋大伝馬町に資本金20万円にて設立する。
写真はまだ白黒写真の時代であり、商品も単薬(現在の調合薬の原料)が主体でDPEはほとんどその小売店にて自家処理をしていた。

1950年

本社を日本橋本町4-5-15に移転。

1951年

本社別館新築。日本橋本町4-11-5。資本金を50万円に増資。

1953年

全国的に業容拡大、販路拡張をめざしその手始めとして札幌営業所を開設。
当社の商標は「羊印」である。試薬業界には犬印、鹿印、キジ印などと動物を使った商標の会社が何社かあるところから、それに倣って羊印にしたのではないかとも推測される。

1954年

墨田区業平に工場を開設(現東京営業所の所在地)。
写真業界において当社の知名度を上げ、多くの写真愛好家に〈定着の中外〉というイメージを抱かせる発端となったのは、昭和20年代後半におけるアマチュア用の迅速硬膜定着剤「スピードフィックス」の発売であろう。
後から仕様を美麗赤缶入に変えてから、当社の最初のヒット商品と言っても過言ではない。

沿革写真

1948年日本橋大伝馬町に資本金20万円で会社を設立(久郷政吉社長)

沿革写真

取扱い商品は単薬が主であった

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